吉野山と金剛蔵王権現 役行者との関係 令和3年10月23日 

 喜寿の年(令和3年)天牛書店(古書店)にて、吉野裕子先生の「古代の女性天皇」(人文書院・2005年)を発見、すぐ買い求めた。読み進むと、第4章第41代持統天皇即位以降の七に吉野山と金剛蔵王権現とある。「扇」(人文書院・1970年)以来先生の著書は愛読していた。講演会にも出席し、個人的な質問をした事もあった。

 私は1983年(昭和58年)39歳より先達に導かれて、大峯山に登拝し、幾度となく奥駈修行にも加えていただいた。2度の手術を経て還暦となり、役行者石像の調査を思い立ち、初期にはかなり熱心であったが、令和元年75歳を一区切りとして山を引退した。その後コロナ禍となり、全世界に猖獗、今月後半に入りやや下火となって、飲食店などへの営業短縮要請が解除されつつある。

 以前から役行者―蔵王権現・金の御獄―金峯山―吉野山の事柄は諸本に記され、役行者に関する書物だけでも枚挙に暇なしである。今にして思えば歴史は後の代に記される物であり、役行者には誰が考えても、空想的な説話となり日本人の集合無意識イデアだと思えば意味深い。これはもちろん御本人と無関係で、現代で言う超人の「アイドル」に尾鰭をを付けたのであろうか。「ハテナ?」と思いつつ、何か自分の得心のいく確信とは言わないまでも核心が得たい。吉野先生のこのご本によって「ナルホド」と思うに至ったのである。

その一部を掲載してみよう。

 ここで注意されるのは、持統天皇と、山岳宗教の大成者、修験道の開祖とされる役小角、俗称役行者が同時代であることであった。後述するように彼は金剛蔵王権現の生きの祖であるが、この蔵王権現こそ吉野山のシンボルであって、私見によれば、この尊像のなかに、吉野山のもつ呪術性はすべてこめられているといっても過言ではない。

 この金剛蔵王菩薩を祈り出したとされる役行者が、天武・持統朝の人であったということは、その時代の吉野山と、それ以前の吉野山とは、当然、区別されなければならないということになる。

 もちろん、役行者の出現を俟って、吉野山が初めてその呪術性をもつに至ったとは思われないが、少なくとも彼によって、それまで漠としていたものが、明確に理論づけられ、一斉に開花し、蔵王権現の尊像となって、理論が現実化され、万人の目にみえる(すがた)として、定着することになったのではなかろうか。

吉野裕子「古代の女性天皇」より

 役行者に関する書物や伝承を私なりに調べ、先人の記する所も、高名な先生の著書もかなり真面目に読んだが、喜寿を迎えた最近ではほとんど忘れてしまい、この吉野先生のご本によって、雲が晴れたような心持になった。

 先生の書物のごく一部は前に示したが、再度日を改めて読みたいと思う。先生は1916年のお生れ、今年、令和3年では105歳、1977年「陰陽五行思想から見た祭」によって文学博士の学位を授与された、とある。多数のご著書があり、この本が「古代日本の女性天皇:が多分23冊目?になろうか。文化勲章を受章されなかったのは私にとって少し残念である。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

このブログの著者

昭和19年(1944年)3月24日、大阪府枚方市生まれ。平成の御代、大峯山登拝修行に専念し、75歳で引退。令和元年(2019年)に自身の修験と法螺にまつわる手記をまとめた著書【平成の大峯山】を出版。現在は法螺貝と蘭と酒を愛す毎日。ただいま役行者石像の研究に没頭し、研究成果の出版本を準備中。

法螺貝研究所
〒564-0061 吹田市円山町5-3
TEL.06-6386-6500
メール:hira_hira@iris.eonet.ne.jp

目次
閉じる