昭和が終わり、平成の御代が始まった頃の記憶。初々しい気持ちを思いだすため、ここに記します。
大峯山奥駈修行、初参加
念願の奥駈修行、近鉄阿倍野橋駅より吉野に向かう。十数度修行された前田大先達のお古の鈴懸(行者装束)を初めて着て、山上ヶ岳(集合場所)へ。恥ずかし、嬉し、自分の格好が気になる。
吉野行き心技体なき初行者
途中地下鉄動物園前駅で、偶然奥駈同行者の方と初対面、花井悟氏であった。
互いに不知挨拶交じわす駅の上
未知の修行に加わる、不安と期待。
初めての修験の片鱗いかなるや
大峯山奥駈修行、二日目
二日目、早朝満天の星空。桜本坊巽良仁師以下二十三名、山上ヶ岳桜本坊の宿坊を出立。
出立の道中法螺の響きあり
道中千日回峰行者に遭遇、挨拶不要。
声かけな奥駈奉行の注意あり
大普賢岳に至る奥駈道より少し下った絶壁に経を入れた経函石を拝す。誰が、いつの時代に造ったのか、不思議。
経函の光の元を探してや
行者還トンネル西口より尾根に出た奥駈道出合にて、引退された老行者前田氏他数名の接待。法螺の応答があり、休憩。
老行者残る力で法螺を吹く
飲み物、バナナ等の接待あり。トンネル西口より出合の地点までは急坂だが、重い荷物をご老体が持ち上げたのである。
バナナ食う汗と涙の行の道
聖宝の宿(講婆世宿)にて勤行、理源大師の銅像あり。像に触ると雨が降るとか?
丸顔でやさしい目付きの理源さん
いよいよ聖宝八丁にかかる、奥駈修行でもきつい上りである。
先達の懺悔懺悔に励まされ
弥山着、天河弁才天奥宮にて勤行、山小屋にて一安心。
初体験明日の来光気にかかる
大峯山奥駈修行、三日目
三日目、早暁弥山より八経ヶ岳に。群星仰ぎ見て、静寂の山中を進む。出立の法螺は無し(他の山小屋の宿泊者があるので)。雲上の山顚に立つ。雲海はるか下に、流れる雲が他の峯々を柔らかく抱いて舞う。しばしご来光を待つ。〝天照らす日の光〟に下界を忘れ、この機会に恵まれた自分・・・天地の運行、神仏のご加護・・・勤行。
今の今我が在りしを有難しありがき事ありがたしかな
閃きは瞬時であったような気がする。日輪はするすると上昇したが、雲のため全きお姿を拝することはできなかった。奉行の道中法螺が今日一日を励めと告げるがごとくであった。八経ヶ岳を下り、明星ヶ岳、仏生ヶ岳、孔雀岳、釈迦ヶ岳、本や地図で知っていても初登拝である。大峯山系の尾根を通る。ちょうど孔雀岳の勤行の時であった。
奥駈けて孔雀の岳の勤行に法螺に答うる郭公の聲
思いもよらぬ郭公の聲であった。五百羅漢を左手に見て、尾根の岩場を注意して進む。釈迦ヶ岳の上りも大して苦にならず。山頂に大正時代の大金銅仏の釈迦像があるではないか。
驚いたお釈迦様がなぜここに
名峯に仏陀に出会い感嘆す
深仙に下りて灌頂堂にて勤行。ついに歴史的地点に来た、という思いが脳裏をかすめた。
大峯のしんせんと申す所にて月を見て詠みける
深き山にすみける月を見ざりせば思ひ出もなき我が身ならまし(西行法師)
佇みて遠き昔に心して法師の心おしはかりけり
釈迦の〝臍の水〟という香精水あり。
臍の水一口含んでありがたや
いよいよ太古の辻より前鬼に下る。途中二ッ石(両童子岩)あり。この二体の大石を飛びうつる修行があったとか。前鬼は峰中の一大拠点。中世、近世の修行者の参籠地で、奥駈修行者の支援を任とする山人集落であった。現在は小仲坊以外は退転したが、かなり大きな山小屋がある。発電機あり。
前鬼には文明力の鼓動あり
来てみれば浮世離れの桃源郷
同行者とも少しは親しくなり、関東より社長命令で参加した青年がいた。
この修行人生開くや親心
天仰ぎ星の多さに驚きぬ
今回の修行には前鬼裏行場の修行の予定はなかった。
三重の瀧をがみけるに、ことに尊く覚えて、三業の罪もすすがるう心地してければ、
身につもることばの罪もあらはれて心すみぬるみかさねの瀧(西行法師)
この体験は次回に残すことになった。三重の滝の修行を熱望した。小仲坊にて一泊。
大峯山奥駈修行、四日目
四日目は前鬼より下り、バスで吉野に帰るだけ。心も和んで楽しい気分に。不動七重の滝(名漠百選)にて法螺持ちが思い思いに吹き立てる。
名漠に法螺吹き自慢技競う
吉野に帰着、桜本坊に入寺、威儀を正して。
坊近し坂にて一同威儀正し
寺門にて入寺の法螺が響きおり
心晴れ迎えの女性菩薩かな
満行の護摩、遂行証授与。
名が呼ばれなんだか嬉し遂行証
修行終了後入浴、直会。
入浴はここに極楽ありにしお
麦般若腹にしみ入る感謝かな
初修行満行、来てよかった・・・と思った。実践、体験、自然宗教、日本人の縄文的イメージが修験の根の部分ではないだろうか。原始回帰か、私の心の奥が共鳴したのかもしれない。
生き様に何か心棒見つかりし
修行者全体に気を遣い、諸事(宿泊の会計等も)担当された奉行役久保起多央氏に感謝。
奥駈の見えざる献身奉行かな
大峯山奥駈修行、追記
修行中は無我夢中であったが、帰宅して書き残したものを十七年後に整理した。
初行者幾度修行で大先達
一昨年(平成二十五年)七十歳の大峯山戸閉で。
眺むれば西の入日に心して古稀の齢を重ねつるかな
六十歳で病を得たが回復、人生晩年に入る。怠惰に流れる今日ではあるが、山が私を導いてくれたような気がする。(平成27年12月吉日書)