令和の蔵王権現石像の記 亀の瀬龍王社 令和3年4月14日

 大阪府柏原市、大阪府と奈良県の境に位置する「亀の瀬」、日本遺産認定。大先達膾谷鉄山師の積年の熱意、地元亀井長彦氏始め多数のご助力により、南河内大谷山道場塩路鐵砲水師奔走す。多方面各位のご協力で金剛蔵王権現像石像の再興成る。

 令和三年四月四日(日)亀の瀬龍王社に於て開眼法要、採燈大護摩供、河内仁◯加竹春座の奉納「勧進帳」の公演あり。

 当日、空模様好しからず。当地は奈良街道の重要なる地点、地滑りで有名「世界最大級の地滑り対策の工事」(産経新聞令和二年十月十四日)古来大和と河内の交易の地とか、大和川の水運があったのであろう。南方の明神山(二七三メートル)の方向には山桜が望見できる。

 膾谷師の開眼・神職西池俊二禰宜の朝日の舞・裏千家大谷千泉の献茶・ディジュリドー(オーストラリアの民族吹奏楽器)の奉納、参会者の焼香と式は進行した。

 下方を望めば、悠久の大和川が亀の瀬岩を抱いて流れている。正に我国の伝統に相応しい行事であった。今般の開眼は令和における歴史的行事の感を深くした。

 『大和の石仏』(清水俊明著 昭和四九年)では、大和における蔵王権現石像は二体、吉野郡大淀町今木、泉徳寺(永禄十二年 一五六七年)生駒郡三郷町山上にあり・・・。

 平成に生駒郡有里町竹林寺に三体発見発表された。(江戸時代寛延 一七五〇他二体)

 伝え聞くに、三郷町の山上の尊像は元は亀の瀬にあったとか?確証を得ないので断言は控えるが、往年の葛城二十八宿の霊場も歴史の流れに変化するのもやむを得ない。それ故再興と称される所以である。

 以上の事を鑑みると、今般の行事は令和における稀有の企画かと、修験に心を寄せる者にとっては、かの吉野山に聳える蔵王堂の本尊が巨大なる三体の蔵王権現像である歴史に今更ながら驚きと歴史の重みを感じるのである。

 採燈護摩供は葛城修験は言うに及ばず、金峯山・本山・当山の各流派、遠くは日光修験の来訪もあり、多数の行者参集、法螺自慢の面々、立石光正師の総奉行、亀の瀬に法螺が響き護摩の煙が立ち上った。

 塩路師の表白文にて今日の由来が述べられ、昨年来のコロナ禍の猖獗も早い退散を念じつつ盛大に終了した。

 最終は「仁◯加」奉納、竹春座の得意の演目「勧進帳」である。これは歌舞伎のパロディーで劇の終わりは”秋祭りの買い物帳”となって万歳・万歳・万歳!!

 この頃に雨、ポツリポツリ、参会者は足早に帰宅された。予報では終日雨であったが、辛くも持ち堪えて・・・天祐かと安堵した。

令和の新石像建立には

    天台寺門宗総本山 園城寺

    熊野修験本山   青岸渡寺

の協賛を賜り永久に亀の瀬に鎮座されるであろう。

  金剛蔵王権現

  この山に忿怒の佛祀りしを運命と国原を見つ

          吉野山中、山繭菴にて  前登志夫

         『歌集 鳥獣蟲魚』より(平成四年九月)

  亀の瀬に集いし人が令和にて蔵王の心日の本の魂

  葛城の往古の民の安寧を龍王社にていにしえ思う

                       蘭酔

               記事の様子の動画です

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このブログの著者

昭和19年(1944年)3月24日、大阪府枚方市生まれ。平成の御代、大峯山登拝修行に専念し、75歳で引退。令和元年(2019年)に自身の修験と法螺にまつわる手記をまとめた著書【平成の大峯山】を出版。現在は法螺貝と蘭と酒を愛す毎日。ただいま役行者石像の研究に没頭し、研究成果の出版本を準備中。

法螺貝研究所
〒564-0061 吹田市円山町5-3
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メール:hira_hira@iris.eonet.ne.jp

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