愛宕山(最後?)登拝の記 令和3年8月22日(日)

〖愛宕山〗
京都盆地の西924mの山、山城と丹波の境界、古代7高山の一つ・愛宕神社鎮座・火伏の神・役行者開山を伝える・和気清麻呂と慶俊僧都が丹波の国より移す・中世には勝軍地蔵を祀る・修験の行場・近世に鎮火神としての信仰として愛宕講を結成・明治に寺を廃して神社・年中行事として7月31日の夜の千日詣が著名
(修験道辞典より抜粋・宮家準・昭和61年)

京都の西・役小角の開山・愛宕神社は白雲寺とも・本地が勝軍地蔵・権現が天狗型の愛宕権現太郎坊火神とも愛宕聖・愛宕修験者が各地に天狗信仰や火伏せの神の信仰を広めた
(日本の宗教の事典・学研2000年)

目次

愛宕山、登拝

京都の愛宕山に向かう

 令和3年8月22日、私は一昨年来の脊柱管狭窄症の回復を試すべく、吹田市を7時半に出発。数日雨続きで高校野球は延期、コロナ禍、オリンピックは無事終了、コロナの猖獗が顕著。

 令和元年大峯山を引退以来、足腰が不調に、登拝は不能と諦めていたが、回復して、恒例になっていた愛宕山行きを思い付いた。以下登拝記を少し詳細に書き残して喜寿を迎えた最後の記録にしようと思う。

 阪急嵐山駅に着くと、人影が少ない、清滝行きのバス停には誰もいない、”不思議” 土・日は朝8時には3本のバスがあり、8時57分に1人で乗車、天竜寺から男女一組の若者が乗った。終着の清滝まで10数分、230円。愛宕念仏寺よりトンネルに入る左側の路上に10数台の乗用車が駐車(登山者が利用か)トンネルの上は[試み峠]で昔は登山者用の電車やケーブルもあったのである。

 バス停より下り坂、橋を渡って登山口へ、10数分、川は今まで見た事もない水嵩が増えている。鳥居の前にて暫し礼拝、頂上まで行けるか。「無理したらアカンデー」と家を出る時に宣告を受けている。9時30分登り始める。右手のケーブルの線路跡を見てゆっくり歩む。前方より下山の男の方と朝の挨拶、79歳。両手にストックを持つ。6時に上がったとか、2時間20分の登下山か、元気者は何処にもいらっしゃるのだ。少し進むと又もや高齢の男性74歳。

愛宕山は登り始めは少しきつい上り

 愛宕山は登り始めが少しきつい上りである。男1人・女1人・数人のグループ・若い家族連れ、若者が走って下ってきた。どのくらいで上るのか興味があるので聞いてみた。「45分~50分ぐらい」私も若き日にその気でかなり頑張って登ったが1時間40分位であったか。「1番の記録は?」「29分13秒」「エーそれホンマ?」と驚くと、私のメモ帳に、近江竜之介君(19歳)と書いて下さった。(下の鳥居より神社の石段の所がゴール)

 20数年前か、私の友人より金剛山の下山でとんでもない記録を聞いてビックリした事を思い出した。空を飛んだ・・・と伝わる”役行者”か。

 70歳ぐらいの夫婦2人連れの方と休息中に話す。これに又驚いた。「葛城28宿を2ヶ所残して踏破した、、、」と、その2ヶ所は、第一之地[虎島序品窟の経塚]妙経序品第一(和歌山市加太友ヶ島)なのである。潮の状態や船の都合を判断しないと誰もが気楽に詣でられる所ではない。他1ヶ所は27の地[逢坂の経塚]である。この経塚は個人の宅内にあり参詣が困難。

 この話を承って、修験に明るい方と判断して、私の出版した「平成の大峯山」(令和元年9月23日)を吹聴した。ブログやYouTubeの案内もして、別れる時、後ろ姿がみえなくなる頃に法螺を吹いて敬意を表した。本日の奇遇なる大愉快である。

 その後男1人・女1人・数人のグループ・等全部で30~40名か、私を追い抜いた人は3~4人、11時30分5合目の休憩所で2時間を要す。[水尾の分れ]で一休み、何とか登れそうだ、、、やっと門の所で一安心、ゆっくり進む。さて境内にも人の気配は全くなし、これも”不思議”。社務所の右側の慶俊僧都の小祠にて勤行。

頂上、本殿

 さて、石段を昇って本殿に詣るか、いつもの三角点かと迷った、、、両方は難しいと判断して、三角点の方へ13時15分、着替えてオニギリを食し休憩。昔を追憶する。三角点の下方にあった杉は象の足の太さに、展望は木々の成長で遮られるのもやむを得ない。昔この下方に砥石の工場があってその残骸が残っていた事を思い出した。

 たしか娘が5歳の時に登った事も、この地に立つのも今日で終わりか・・・。60歳で手術2回・・・山の頂に立つと何だか自然(神仏)にお礼を思い立つのは、日本人のDNAか、我ながらこれも不思議だ。

下山

 14時下山と決め、出立の法螺、ここで又迷う。上ってきた表参道か、月輪寺道か、JR保津峡駅は不可、結局月輪寺の現状を知りたいのでこの道を下ることにした。雨がパラパラ、カッパを出したが、元々身体はボトボト。

 住職は不在で、親子連れが本堂の前で座って休んでいた。法然さんゆかりの寺でもある。略式の勤行、さすがに高所にある寺で維持は大変であろう。前住職さんは女性で、たしかその息子さんが後任であったと思う。寺を守るご苦労を想像した。

 かなり下って、足がフラフラ、途中数度よろめいて転んだ。疲労であろう。登山靴の踵が破れているのに気付いた。道の右下にある[空也の滝]の音がかすかに聞こえる。慎重に足の位置を定めて下山する。だんだん水音が大きくなる。下山の標示に清滝まで90分とあったが、ここまでで90分かかった。やっと道路に出て安心した。平地の歩行は問題なくバス停へ、16時52分同乗者4人、嵐山駅右のコンビニでビール、無事帰宅。愛用の長年使用の靴は本人と同様に引退か。

 最後に   

   としふりて喜寿の登拝に心して時は流れし清滝の水

   おもいきや山にご縁をいただきて我が現身(うつそみ)に値打ちあれかし

   岳久遠上がれば下る人生のおのれの(よわい)おのずから知る

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このブログの著者

昭和19年(1944年)3月24日、大阪府枚方市生まれ。平成の御代、大峯山登拝修行に専念し、75歳で引退。令和元年(2019年)に自身の修験と法螺にまつわる手記をまとめた著書【平成の大峯山】を出版。現在は法螺貝と蘭と酒を愛す毎日。ただいま役行者石像の研究に没頭し、研究成果の出版本を準備中。

法螺貝研究所
〒564-0061 吹田市円山町5-3
TEL.06-6386-6500
メール:hira_hira@iris.eonet.ne.jp

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