上田秋成お墓捜しの記 令和3年7月22日

 阪急千里山線千里山駅近くに私設の図書室あり。私の様な近場徘徊人間にして今まで知らなかった。今年の初めぐらいから散歩の関所として日曜に訪問して、本を借りてご教示をいただいている。私が話を切り出すと、蘊蓄のあるお話をいただける。オーナーの山脇氏の見識には脱帽。

 私は75歳で引退した。法螺吹き(大峯山行者)『平成の大峯山』と題する本を出版でき、コロナ禍の少し前に一区切りでき喜んでいる。この図書室の本棚に私の自著を置いて下さったことも嬉しい。今時、私設図書館(室)が他に有るであろうか。彼はお医者さんで日曜日の午後にお見えになる様である。

 私は能勢町(大阪府の最北部)の資料館の管理に週一度吹田より出向くので当地の歴史に興味を持っている。当然、寺・神社・旧跡は行き帰りの途中や機会のあるたびに立ち寄ったりする。今年に入って、安徳天皇の墓所、江戸末期の山田大助の能勢騒動・能勢頼次・阿倍保名(晴明の父)他の事などご教示を受けている。

 私の西行さんに関する作文を見ていただいたその後、後鳥羽上皇の本をお借りした(彼が薦めて下さった)目崎徳衛氏の『後鳥羽院』、保田與重郎氏の『後鳥羽院』2冊を持ち帰り読んでみた。保田氏の方は昭和14年の書物で、私には少し読みづらかった。少し前に再読した白州正子氏の『花にもの思う春』(平凡社1997年)の後鳥羽院のところに保田與重郎の『後鳥羽院』は「戦争の前夜に書かれたので、今ははやらないと思うが、私は今でも名著だと信じている。が、あまり後鳥羽院を正義の士に見立てたため、鎌倉幕府が悪者になっているのが気に喰わない・・・」とある。

 保田氏の本の終わりごろ、上田秋成を褒めた所があり、本を返しに行った時に山脇氏に話したら、上田秋成さんの墓の件をご教示くださった。

 思い立って、7月21日炎暑の中、大散歩の心構えで、阪急電車十三駅より北西、淀川区の加島の地を歩いた。目的地は香具波志神社、上田秋成寓居跡は境内ですぐ見つかった。墓所は神崎川の堤防近く小さい自然石である、と聞いていたので、心当りをかなり捜したが不明、又もや神社に戻り諦めて帰ろうかと思った。聞く人は全く見当たらない。最寄りの駅へ出ようと、又もや川に出ようとした所に美容室があり、そこのご婦人が私を案内して下さった。

 堤防近くであるが、工場と大型マンションと普通の家にはさまれたブロック壁に囲まれた小さな三角形の狭い墓地であった。とうてい案内者がいないと解らないとの配慮であったのであろう、これ天祐か。上田秋成先生墓、あまりに小さい高さ60cmぐらいの自然石であった。案内のご婦人と記念写真、今日の目的達成に感謝した。

 保田氏が秋成の小説を高く評価した本質は私にはよく理解できないが、かなり以前に『雨月物語』の「白峯」や他の作品に大いなる興味を持った。再読すれば、崇徳院と西行さんの対話など…感銘深し。

     西行さんに傾倒して→→→後鳥羽上皇

     後鳥羽院の本借りて→→→保田與重郎

     保田氏の本借りて→→→上田秋成

     秋成さんの墓詣でて→→→夏の大散歩

     炎暑の大散策で→→→シャワーとビール

    「白峯」を再読→→→感銘

喜寿の年 有難き出会いの一日に感謝

   としたけて炎暑に墓所を訪ねんとおのが意のまま動けるうれし

   喜寿にてや歩いていったいつの日か

秋成の墓は京都西福寺に、上田無腸翁之墓があるとの事、まだ詣でてはいない。

大峯山(山上ヶ岳)登拝はもう無理である。 

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このブログの著者

昭和19年(1944年)3月24日、大阪府枚方市生まれ。平成の御代、大峯山登拝修行に専念し、75歳で引退。令和元年(2019年)に自身の修験と法螺にまつわる手記をまとめた著書【平成の大峯山】を出版。現在は法螺貝と蘭と酒を愛す毎日。ただいま役行者石像の研究に没頭し、研究成果の出版本を準備中。

法螺貝研究所
〒564-0061 吹田市円山町5-3
TEL.06-6386-6500
メール:hira_hira@iris.eonet.ne.jp

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