安倍元総理銅像に思う

 令和五年 吉野山吉水神社の佐藤素心師が、安倍氏の神社を開基されたと聞き、大阪より長野に向かったのは参拝と素心師に敬意を表するためである。丘の上には白樺の小祠が鎮座していた。

神職である宮司のやむにやまれぬ胸中が感じられ、あの悪夢より数日慟哭されたとか、心ある人々には不慮の災難に涙する人が・・・国葬の沿道にも・・・

 安倍元総理は「戦後レジームの脱却」の理念で本来の我国の姿を求められたが道半ばで果たせなかった。三人の首相による内閣が続いたが、不安定な政局で世代間の価値観や情報の多様性と氾濫・政党の利害打算による野合や離合集散で国家の方向性が定まらずで、根本はやはり国家教育における歴史・国家観の欠如であるのかも。

 近年地球上で二ヶ所の戦争が勃発し、解決の道も不明である。国際情勢の現状の本質を理解する事は一般国民にとっては難しい。

 令和八年衆議院選挙に於て、公明党が去り新なる展開となり、結果的には自民党が圧勝して高市氏が安倍氏の方向性を継ぎ、これは本来の保守の国民が自民党に回帰し、野党の無責任な言動を判断したものであった。国家の根本である憲法・皇室問題等にも明確な方向性を示された。テレビやユーチューブでの首相や女性閣僚の答弁を見ても痛快である。

 さて安倍氏像の件

素心師の発願当初は安倍氏や安倍派の問題がマスコミを賑わしたが、今にして思えば針小棒大で噂は時間と共に消え、安倍さんを貶めるためであったのであろうか。良識ある国民として客観的に正しく判断したいと思う。建立計画の初期は素心師の個人の発案であり、時期悪く展望は開けなかった。崇敬会が発足してクラウドファンディングを立ち上げ活動を開始したが、やはり大いなる進展はなく、拡大拡散が不十分であった。事務局はユーチューブや他の方策で工夫したが目標額には至らなかった。 転機が 高市内閣になり展望が少し開けた。我国の政局の霧が晴れ協力者が出現した。素心師は像の発注を決断され富山県高岡市に役員三名と共に契約に出向いた。 

 地元長野県の方々による銅像建立実行委員会が発足し、令和八年六月八日に向けて進むことになった。しかし像の費用は目途がついたが、行事に伴う諸経費・種々の出費等資金不足の現状である。今一層の奮起と拡大拡散を期したいと思う。

 この事業は素心師の愛国の熱い思いが出発点で、我国の歴史的人物の顕彰まして我国の宰相が・・・国家の進路の方向性を示し凶弾に斃れられた。各地各所に像があるが、それぞれに国家や組織に貢献された方々である。これは偉人を忍ぶ我国の叡智より生じた発想でありいずれ、他所にも安倍氏像は建立されるであろう。台湾とトルコに像・奈良三笠霊園と大阪護国神社に石碑が完成したが我国最初の立像となる。

 素心師は後醍醐天皇御在所で他にも歴史深き吉水院の宮司で八十歳で名誉宮司になられたが、昨年放火により焼失した吉野山の古社勝手神社を再興された宮司でもある。横田夫妻を迎えて拉致問題にも貢献された。自身の修行と像建立を期して吉野在住時代より二千回の早朝回峰行で令和七年十二月十六日一千回を達成された。師の精進には敬服する次第である。

 安倍晋三氏は我国の明治維新の原動力となり今なお日本人の思想の核となる大和魂を実践された吉田松陰先生を篤く尊敬されていたそうで、同郷の素心師も同じであった。安倍さんは偉大な政治家であった。日本人の先祖より伝わった魂をお持ちであったのである。

    秋津島 信濃に留まる 宰相の 令和の御代の 大和魂               

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このブログの著者

昭和19年(1944年)3月24日、大阪府枚方市生まれ。平成の御代、大峯山登拝修行に専念し、75歳で引退。令和元年(2019年)に自身の修験と法螺にまつわる手記をまとめた著書【平成の大峯山】を出版。現在は法螺貝と蘭と酒を愛す毎日。ただいま役行者石像の研究に没頭し、研究成果の出版本を準備中。

法螺貝研究所
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